今回のインタビューは、カンボジア・シェムリアップで「旅行代理店」「マッサージ店」「レストラン&バー」と全く業種の違う3つのビジネスを展開する狐塚芳明さん。
シェムリアップ在住歴はなんと約20年!シェムリアップでビジネスを始めた日本人のパイオニア的存在。
約20年もシェムリアップで生き抜いてきた狐塚氏から見たカンボジアの現在・過去・未来とは?なぜカンボジアに住みついたのか?カンボジアでビジネスをする上で注意すべきポイントとは?
山あり谷ありの狐塚さんの気になるストーリー、そして狐塚さんの今後の野望とは・・・
今回の狐塚氏の対談インタビューラインナップ!
本記事は、全7本のインタビューの最初の5本目となります。
1本目 カンボジアの観光業はどうなるの?これからおさえるべきポイントとは?
2本目 カンボジアでのマッサージビジネス、勝つ抜くためのノウハウとは?
3本目 カンボジアでの飲食ビジネス、その難しさとは?
4本目 カンボジアでうまくいく人いかない人の違いとは?
5本目 波乱万丈ストーリー!心に秘めた若き日の悔しい想いとは?
6本目 海外で成功するために本当に必要なスキルとは?
7本目 今後の展開・ビジョンは?本当にやりたい大事なこととは?
8本目 狐塚芳明さんからあなたへのメッセージ
旅行代理店「FSUN TOURIST(エフサン ツーリスト」、マッサージ店「Relaxation Massage Chai Angkor(チャイ・アンコール)」、レストラン&バー「YOKOHAMA(横浜)」オーナー。
学生時代の世界一周旅行で立ち寄ったことがきっかけでカンボジアにはまりこむ。
シェムリアップ日本人会の会長も長期にわたって歴任。
シェムリアップの頼れる兄貴として、在住者のよき相談者として慕われる存在。
生の声、現地のライブ感が伝わる【動画版】はコチラ!
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狐塚さんはなぜカンボジアに来たの?
中西賢一(以下、中西):じゃあ、今雇用の話を聞いたところなんですけど、今度は狐塚さん自体のストーリー、カンボジアでの歴史ということかを聞いていきたいんですけど。よく聞かれると思うんですけど「何でカンボジアにいるの?」っていう話から聞きたいんですけど。そこはどうなんですか?
狐塚芳明(以下、狐塚):猿岩石ってね。
中西:はい、ありましたよね。
狐塚:「電波少年」。
中西:はい、「電波少年」。
狐塚:で、要は簡単に言うと・・・
中西:ヒッチハイクのやつですよね?
狐塚:ヒッチハイクでお金がなくて世界一周するっていう番組が当時あって・・・
中西:はい、ありました。
狐塚:僕もその世代で、ちょうど、バックパッカーみたいなのが好きだった。世界を・・・お金・・・貧乏旅行を。そういうときにやっぱり「ちょっと世界一周でもしてみたいな」と。それは自分探しじゃないですが、今流で言うと。なんか自分を見つめ直すみたいなことを学生のときにやりたいと。そのとき、なんかあまり景気がよくなかったんですよ。バブル崩壊後みたいな。
中西:ああ、社会的に?
狐塚:社会的に、だから、学校を出たって就職が前だったら大企業にポンと入ってボーナスもポンポンもらって、マンション買った、車買ったって時代がもう終わったあとだったんです。
中西:いい条件で就職できない。
狐塚:できない。先輩からは、いい話ばっかり聞いてたのに、いざ就職しようとしてみたら、結構暗い話しかないと。
中西:自分たちは(笑)ねえ。ちょっと暗黒の時代へ入ったみたいな(笑)。
狐塚:運悪いなあと思って。だったら、就職なんかすぐしなくて、世界でも旅行しながら見聞を広めたり、ちょっと時間稼ぎをしようかなと。
中西:あ、すみません。それは学生時代?
狐塚:学生時代。
中西:卒業は?
狐塚:卒業前です。大学って8年間居れるんですよね。
中西:あ、まあ(笑)。
狐塚:幸い(笑)。
中西:そういうことです、はい、はい。
狐塚:じゃあ、1年ぐらい休学したっていいかなと。僕、1年学校を休学しまして・・・
中西:3年のときに?
狐塚:4回生のときに。
中西:もう、卒業間近みたいな?
狐塚:そうです。
中西:普通就職活動するみたいなときに?
狐塚:ときに、僕はもう留年してたんで、留年が決定してたんですよ。
中西:(笑)
狐塚:5回生になるときですね。ときにもう、5回生になると同時に休学をして、世界一周旅行に出てやろうと。なけなしのアルバイトで貯めた30万円ぐらいを握りしめ・・・
中西:猿岩石のようにやろうと。(笑)
狐塚:猿岩石のように金がなくなりゃ途中で皿洗いして、アルバイトでもして、最後はアメリカでも渡ってそこから日本に帰って来ようと。そんな感じで出発しまして、タイに最初、タイのバンコクに。
中西:バンコクに、はい。そこがスタート地点?
狐塚:はい、拠点に。西に行くか、東に行くかみたいな。西に・・・
中西:ルートは決めてなかったですか?
狐塚:何にも決めてないんです。でも、なんとなく西に行こうと思ったんですよね。やっぱりインドがちょっとすごい好きだったんで。
中西:パッカー的にはインドってちょっとね。
狐塚:あそこは登竜門みたいなね。で、西に行こうと思った矢先に「カオサンロード」という悪名高き・・・
中西:あ、バンコクのね。
狐塚:はい、バンコクの。
中西:沈没しちゃう人が続出みたいな。
狐塚:はい。そこにカンボジア行きの航空券を見つけてしまいまして。「あっ、カンボジアって、そうか、隣りにあるんだ」と。ちょうどタイの東側にあるんですよ、カンボジア。「これはちょっとインドに行く前に、ちょっとせっかくだから行こう」と思って飛んできて、そこから、もう気にいっちゃって(笑)
カンボジアに来たらスゴかった?
中西:それはシェムリアップですか、プノンペン?
狐塚:プノンペンです。当時はプノンペンしかなかったんですよ。プノンペンに着いて次の日ぐらいから「これは、すごい所に来ちゃったな」と思って。
中西:それは「すごい」ってのは? 自分がすごい気にいっちゃったっていう「すごい」?
狐塚:そうなんです。ほら、イメージってポルポトだったり、地雷だったり、もう危ないみたいな。戦争をやってるんじゃないかみたいな。そのイメージがあまりにも強かったんで、来たら、拍子抜けしちゃったんですよね。
中西:そのときどうだったんですか? その来たときって、なんか華やかだったとか?
狐塚:穏やかなんです、人が。
中西:ちょっとそういう戦時中的なそういうギスギスしたとか、緊張感がなくて?
狐塚:なくて、みんな、ニコニコしてるんですよ。
中西:へえ、意外ですね。
狐塚:アレッと思って。「なんだ、いい所じゃん」って。
中西:だって、まだそんなに年は経ってないですよね?
狐塚:そう。ほとんど。でも、ちょっと、よくよく突っ込んで過ごしていくと、危ない目にたくさん、そのあと合うんですよね。最初の印象は、「素晴らしい人々」。
中西:人が?
狐塚:うん。なんて優しくて親切でホスピタリティがあって、もう、はまっちゃったんですよね。完璧に。
中西:ほう。そのタイの人と比べちゃいけないけれども・・・
狐塚:比べちゃいけないけれども、イメージが悪すぎるんで。
中西:最初のギャップ萌えみたいな。(笑)
狐塚:そうなんです。で、結局その後の1年間をカンボジアに費やしてしまうという(笑)
中西:えっ、そこから1年間、いちゃったんですか?
狐塚:ええ、暴挙で・・・
中西:あの、越えて、ヒッチハイクする予定が・・・(笑)
狐塚:予定が。
中西:タイから次、2カ国目で1年間いちゃったみたいな?
若さゆえの行動でまさかのウルトラC?
狐塚:はい。そういう暴挙に出ました。実は到着日に行ったカフェがあるんですよ。コーヒー飲んだり、ご飯食べたり。そこにいた女の子の従業員、スタッフがいまして、その子に一目惚れしてしまいまして(笑)
中西:アラッ?
狐塚:で、これは、この子とずっといたいなと。この子をなんとか口説きたいなと。
中西:それを若さというんですかねえ?
狐塚:若さでもあり、そのことに一生懸命になり、というのと、カンボジアそのものがやっぱりものすごく魅力的だったこともあって、ズルズルと1年間が過ぎていきました。
中西:そのときって、1年間って結構長いですけど、仕事とかお金とかどうしてたんですか?
狐塚:基本的には日本から持って来た30万円を切り崩して・・・
中西:それもその金額で十分生活できた?
狐塚:できてたんですけど、あるときからだんだんまずくなってきましたんで、何かないかなと思って、日本語を教えたりしてました。
中西:日本語教師?
狐塚:はい、日本語教師。
中西:需要があったんですか?
狐塚:うん。当時から親日なんですよね。日本語を学びたいっていう需要があったんで、僕が暮らしてた場所の近所に小学校があって、その小学校が夕方になると、教室を開放して、いろんな塾みたいなことをやってたんですね。
中西:それは自由にやってたんですか?
狐塚:それで、学校に許可を頂いて、そこで僕は「日本語教室をやりたい」と、その学校に申請しまして、そしたら1教室もらえたんですよ。そこで毎日夕方放課後の日本語塾、日本語学校をもう1年ずっとやってまして・・・
中西:それで収入を得て?
狐塚:収入を得て。大した収入ではなかったんですけど、その日の夕飯ぐらいかな? チャーハン食えるぐらいの収入はあったんで。
中西:相当少ないっちゃ少ないですけどね(笑)。けど、生きてはいけたと。
狐塚:生きてはいけました、はい。
中西:それでプノンペンへ行ったのがきっかけで、そこで1年間どっぷりいて、そこから日本へ帰ったんですか?
狐塚:そうですね。一旦学校へ戻って・・・
中西:そうか、学生だったんですよね?
狐塚:はい。復学して卒業して、また戻ってくるということになるんですけども、そのときに1年間カンボジアにいた間に知り合った女性といろいろ進展がありまして・・・
中西:遠距離恋愛みたいな?
狐塚:ええ、そうですね。カンボジアにいる時点で、私は学生でしたしね。学生、遠距離、国際結婚みたいなのを、ウルトラCをやりまして(笑)
中西:(笑)まだ、20代そこそこなのに。
狐塚:ええ。ついでにできちゃった結婚みたいなのも加わりまして。
中西:すごいですね。
狐塚:はい。日本に1回帰って学校を卒業する1年間の間に当然通ったりもしましたし・・・
中西:あ、やっぱり行って・・・
狐塚:夏休みに行ったりとか。やっぱり僕はカンボジアで暮らしていくんだと、その時に決めて、だから就職活動も日本ではせず、カンボジアに行くことを目標に過ごしてましたね。
狐塚氏の20年を支えた「悔しさ」とは?
中西:そのときってカンボジアって、日本では「ちょっと、行くの辞めたら」みたいな。結構ご両親とか反対されたりしませんでしたか?
狐塚:もう、大反対ですよね。「何でカンボジアなんだ?」って。「なかなか親戚とかに言いにくい。アメリカとかカナダにしてくれ」って。
中西:ねえ、そっちのほうが、なんかかっこいいですから(笑)。
狐塚:かっこいいから。「カンボジアなんて言えない」って言われて、今でも僕ほんとに思うんですけど、くやしかったんですよね。
中西:あっ、そう言われるのが?
狐塚:そう。友だちにも言われて、「あんな夢なんか持てないような所に行って何するの?」って。それねえ、すごくくやしくて。当時から思ってたんですけど、もうねえ、「カンボジアいいな、かっこいいな」って言わせたかったんです、当時。だから、その思いでずっと今やってきたんですけど、ようやく最近ですよね。
中西:ちょっと変わってきましたか?
狐塚:「カンボジアすげえ」って言われるように・・・
中西:だいぶ、時間がかかっちゃいましたけどね(笑)。
狐塚:20年越しで(笑)。最初はボロボロでしたよ、だから。「何やってんの?」とか、「バカじゃねえ」って(笑)。
中西:カンボジアのイメージが変わってきたっていう感じなんですかねえ?
狐塚:そうですね。変わってきたでしょうし、実際に僕も20年の間にいろんなことをやってきましたから、そういう積み重ねとかですよねえ。やっと今ではねえ、今でこそあれですけど、当時はボロクソに言われましたねえ。
つづきます ⇒ (6本目 海外で成功するために本当に必要なスキルとは?)
【海外どうでしょう】管理人:中西 賢一
■ インタビュー日:2015.02.18