今回のインタビューは、バッタンバンの孤児院『Hope Of Children(ノリア孤児院)』をボランティア支援している岩田亮子さん。
日本航空の元客室乗務員という華々しい経歴を投げ打って、55歳で単身カンボジアへ。
波乱万丈なカンボジアでの活動を微塵も見せないこのさわやかな笑顔とバイタリティあふれる行動力。
現在、あらたな子どもたちの自立支援の仕組みである「カフェHOC」を軌道にのせるために奮闘中。
子ども達が直面している教育の問題、今に続く内戦時代の負の遺産、カンボジアの孤児院の現状など、岩田亮子氏にたっぷりと語っていただきました!
カンボジア・バッタンバンの孤児院『Hope Of Children(ノリア孤児院)』運営。
カンボジアの子どもたちの自立支援を2008年から続ける。
人気のテレビ番組「世界の村で発見!こんなところに日本人」にも紹介される。
今回の岩田亮子さんとの対談インタビューラインナップ!
本記事は、全7本のインタビュー動画の4本目となります。
1本目 孤児院にはどんな子ども達がいるの?その子ども達にどんなことをしているの?
2本目 今に残る内戦による負の遺産とは?私だからこそできる期限のない活動とは?
3本目 初めての田植えで大失敗?最後にあがいたありえない行動で奇跡が!
4本目 なぜカンボジア?子どもの自立支援ってどのくらい時間がかかる?
5本目 カンボジア野菜は農薬だらけ?無農薬バイオ野菜を提供する難しさとは?
6本目 新しい自立支援の仕組み「カフェHOC」は子どもがオーナー?
7本目 カンボジア「ノリア孤児院」であなたも働いてみませんか?
特別動画 岩田亮子さんからあなたへのメッセージ
生の声、現地のライブ感が伝わる【動画版】はコチラ!
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なぜカンボジアに来たの?
中西賢一(以下、中西):そもそもの話をちょっとお聞きしたいんですけど、カンボジアに来た年って教えていただいていいですか?
岩田亮子(以下、岩田):最初に来たのは2008年。
中西:2008年に来られてすぐ立ち上げっていうか・・・
岩田:いえ、2008年は着地点を決めるための調査のための渡航だったんですね。そのときは2週間弱で。最初からこのHIVの遺児がいる孤児院ということをターゲットにして、しかも日本人が関わっていないところっていうので探して。日本から探して、それは「かものはし」を通してなんですけど、「かものはし」はもう来てましたので、そこで調べてもらって、で、ピックアップしてもらったところとか、自分で調べたところとか、アポが取れたところを10か所ぐらい回って、最後ここだったんです。
中西:もうやりたいことは決まってて、あとはどこでやるかみたいな話だったんですね。
岩田:そう、そう。着地点を決める。
中西:それはカンボジアだけだったんですか?例えばタイだったりほかの国は?
岩田:いえ、もうカンボジアっていうふうにターゲットは絞っていたんです。それはなぜかっていうと、よく聞かれるからあれなんですけど、私は別にミャンマーでもバングラディシュでもカンボジアでもと思ってたんですけども、たまたまカンボジアを知ったっていうこともあったんですが、カンボジアの置かれているその時代的な背景とか、私がちょうど大学の頃にポルポトの(内戦など)があったりとかして。聞き知ってはいたけれども、その実態を実際には分かってなかった。その時代的な背景の違う1つ異色な国っていうこともあって、その時代からもう何十年も経ってるのに、なぜ未だにそれを引きずっているのかっていうこともこの目で見たかった。興味本位みたいなところもあるんですけど、それでカンボジアに行ってみようって。若いうちじゃないと、多分対応できないかもしれないっていうのもあって。
中西:で、ここを見つけました。ここバッタンバンですよね。それで今に至るまでもうどっぷりっていう感じなんですよね。
岩田:どっぷりっていうか終わらないんですね、まだ。終わらないんですよ。でも、最初来たときに、私の自分の経験というか、ボランティアの経験はそんなにないんですけども、一応何十年も生きてきたので、大体こんな状況だったら何年ぐらいで、私ができることが果たせるかなって考えたときに、自立支援でしょう? 1人でも自立させるのに、その中で10年はかかると思ったんですよ。最初の2008年に来たときに。なので、2009年から来たんですけど、そこからまだ私は6年ですから。
中西:まだ10年・・・
岩田:まだ10年、そう、経ってないの。だから、全然余裕、余裕、今ここまで来たのが早いぐらいで。
中西:今のところは順調に来てますか? 10年スパンで見たときに?
岩田:10年スパンで見たときの動きは、結構いい線ですね。「やれてるじゃん」って感じがしますね。
中西:そうですよね。今ちょっとこうやって、後ろに写真とかが貼ってあるんですけれども、農園とかさっきのお米の話だけじゃなくて、フルーツとか野菜とかも栽培して収穫してってことをやられているんですよね。
岩田:そう。お米から始まったのが、今、野菜でしょ、それからフルーツもそうですし、そしていろいろ、いろんな試行錯誤をしながら、やり方も変えて。この野菜には水耕栽培がいいとか、この野菜にはそうじゃなくて、直植えがいいとか、どこの土がいいとか、水は・・・井戸を掘っても、ここの敷地2ヘクタール弱なんですけど、その中で畑を使えるのは1ヘクタールで、畑の中にも井戸を何カ所か掘ったんですけど、全部水質が違うんですね。信じられないでしょ? それも。
中西:それは使えるものと使えないものがあるっていう?
岩田:使えるものっていうか成分が違うんですよ、水の。
中西:それでやっぱり・・・
岩田:違うんです。
中西:出来上がりが変わってきちゃうんですか?
岩田:出来上がりというか、最初に掘った井戸は塩分があった。もう塩分は絶対ダメで。だからあきらめてたら、でも、もしかしてと思って・・・
中西:近くを掘ったら・・・(笑)
岩田:そう、掘ったら全然違う水質の水だったんですね。それは使えるんですよ。
中西:塩分がそんなに高くない?
岩田:ない。そういうことがあるんだっていうことも、掘ってみて分かる。そこであきらめなかったのがよかったと思うんですよね。
中西:そうですよね。近くだったらこの一帯そうだろうってねえ。
岩田:思っちゃうでしょう? だから、そういうこともあるんですね。なので、そのあとに水が供給できるようになって、野菜がかなり広がりましたね。
中西:その活動の一環としてというように食べ物を生産してるっていうことなんですけど、それって、孤児の皆さんで食べるのももちろんだと思うんですけど、その野菜をまた、どこか市場とかで売ったりとかっていうのもしてるんですか?
岩田:ええ、してます。もちろん。してますけども、ほんとに二束三文で。自分たちで店を構えてやってるわけじゃないので、仲買いさんに取られちゃうわけですよね。そうすると言い値でたたかれて、子どもが持っていくからなおさらですけど、「あんなに丹精込めて作ったものが、たったこれだけ?」みたいなことにもなる。ということも自分たちで経験、それだったらもう食べたほうがいいんだし、どんどん食べて、大きくなったほうがいいし。食べてるんですけど、それ以上にまた葉物の野菜がもたないですよね。
中西:どんどんできちゃって・・・(笑)
岩田:どんどんできちゃって、いい野菜ですし、そんな時期にたまたま自立のプロジェクトとして、子どもの中の夢を聞いてて、レストランという声も上がってたんですよね。「じゃあ、僕たちでやってみるか、それを提供する店を」っていうのがこれなんですね。
つづきます ⇒ (5本目 カンボジア野菜は農薬だらけ?無農薬バイオ野菜を提供する難しさとは?)
【海外どうでしょう】管理人:中西 賢一
■ インタビュー日:2015.02.24