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カンボジア孤児の自立支援!ボランティアの新たな仕組みを作る挑戦【岩田亮子】(1/7)

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「Hope Of Children(ノリア孤児院)」岩田亮子氏アップ画像
今回のインタビューは、バッタンバンの孤児院『Hope Of Children(ノリア孤児院)』をボランティア支援している岩田亮子さん
日本航空の元客室乗務員という華々しい経歴を投げ打って、55歳で単身カンボジアへ。
波乱万丈なカンボジアでの活動を微塵も見せないこのさわやかな笑顔とバイタリティあふれる行動力。
現在、あらたな子どもたちの自立支援の仕組みである「カフェHOC」を軌道にのせるために奮闘中。
子ども達が直面している教育の問題、今に続く内戦時代の負の遺産、カンボジアの孤児院の現状など、岩田亮子氏にたっぷりと語っていただきました!

岩田亮子(いわたりょうこ)氏
カンボジア・バッタンバンの孤児院『Hope Of Children(ノリア孤児院)』にて、子どもたちの自立支援を2008年から続ける。
人気のテレビ番組「世界の村で発見!こんなところに日本人」にも紹介される。

今回の岩田亮子さんとの対談インタビューラインナップ!
本記事は、全7本のインタビュー動画の最初の1本目となります。


1本目 孤児院にはどんな子ども達がいるの?その子ども達にどんなことをしているの?
2本目 今に残る内戦による負の遺産とは?私だからこそできる期限のない活動とは?
3本目 初めての田植えで大失敗?最後にあがいたありえない行動で奇跡が!
4本目 なぜカンボジア?子どもの自立支援ってどのくらい時間がかかる?
5本目 カンボジア野菜は農薬だらけ?無農薬バイオ野菜を提供する難しさとは?
6本目 新しい自立支援の仕組み「カフェHOC」は子どもがオーナー?
7本目 カンボジア「ノリア孤児院」であなたも働いてみませんか?
特別動画 岩田亮子さんからあなたへのメッセージ


生の声、現地のライブ感が伝わる【動画版】はコチラ!

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「ホープ・オブ・チルドレン」ってどんなことをやっているの?

中西賢一(以下、中西):今日は、カンボジアのバッタンバンで活動されている岩田亮子さんにお話をお聞きしたいと思います。よろしくお願いします。
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」岩田亮子氏と中西賢一対談画像
岩田亮子(以下、岩田):よろしくお願いいたします。

中西:では、岩田さんのほうから簡単に自己紹介のほうをお願いいたします。

岩田:はい。カンボジアのバッタンバンの孤児院「ホープ・オブ・チルドレン(Hope of Children)」というところで子どもたちの自立の支援を6年前よりさせていただいてます。岩田亮子と申します。

中西:カンボジアでそういうボランティア、お子様を助ける活動をされている岩田さんに今日はいろいろとお話しを聞いていきたいと思います。まず、今の自己紹介の中で聞きなれない言葉があったのでお聞きしたいんですけど。バッタンバン。カンボジアのバッタンバンと聞いても、多分日本人の人ってほとんど知らないですよね。バッタンバンって(笑)町なんですけれども、カンボジアで2番目に大きい都市っていうことでいいんですかね?

岩田:はい。規模もそうなんですけれども、人口的にも2番目っていう位置づけで一応第2の都市になっています。
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」岩田亮子氏と中西賢一対談画像
中西:どうしてもカンボジアは、首都のプノンペンか、アンコールワットがあるシェムリアップかっていうがあるんですけど、バッタンバンのほうが実は人も多いという・・・

岩田:そうですね。それだけ広いっていうこともあるんですけども、人も多いんですね。シェムリアップは、観光客が多いので、多いような気がされていると思うのですが、私もそうだったんです。でも、住んでいる方たちはそんなに多くない。

中西:そのバッタンバンというところで活動されているわけなんですけども、ちょっと具体的に岩田さんのこちらでやられているお仕事っていうのをちょっとお聞きしていいですか? 今僕の手元に先ほど岩田さんから頂いたパンフレットがあるんですけど、「ホープ・オブ・チルドレン(Hope of Children)」というところで、お子さんのために何かをされている、活動されているということなんですよね?

岩田:そうです。

中西:具体的にはこちらのどういうお子さんに対して、どういうことをされてるっていうふうに思っていいでしょうか?
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」岩田亮子氏と中西賢一対談画像
岩田:一応孤児院っていってますけど、本当の孤児だけじゃないんですね。うちで支援している子どもたちは、うちに住んでいるんですけれども、住む家がない子もいます。両親がいない子もいます。だけど、両親がいても自分の本当の家には住めないような境遇であったりとか、片親しかいなくて、しかもその片親が不具で仕事ができない状況であったりとか。あとは、子どもを置いて出稼ぎに、タイに行かなくてはいけない。けれど、連れていけないっていうような家庭的な環境の子。子どもたちにとっては不幸という言い方をしてはあれですけれども、学校にいけないような、学校に行きたくてもいけないような環境にある子どもたちを預かって、学校に行かせてあげるっていうのが、まず第一義的な目的である施設なんですね。で、そこの代表者は、カンボジアのお坊さんで・・・
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」岩田亮子氏と中西賢一対談画像
中西:はい。書いてありましたよね。お名前が・・・

岩田:ムニ・ヴァンサヴェス。
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」岩田亮子氏と中西賢一対談画像
中西:ムニ・ヴァンサヴェス(Muny Vansaveth)さん。この方が立ち上げた。

岩田:そうです。彼が1992年に・・・ちょうど1992年というと、内戦が終わりかけて、PKOなんかが入ってきて、新たに選挙を始めて、国をどんどん前に進めていこうとするような矢先だったんですね。戦争が終わったってこともあって・・・内戦ですけどね。タイの国境付近にものすごい数の孤児たち、難民たちが出て、その中のHIVの被害にあっているような孤児たちを集めて、とりあえず子どもたちを守ろうとして立ち上がったのが、このムニ・ヴァンサベスさん。
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」岩田亮子氏と中西賢一対談画像
中西:もう20年以上、団体がもう活動されているっていうことなんですね。

岩田:そうですね。もう個人的に彼が庇護(ひご)して、寺に連れてきて、寺に小屋を建てて、生活してたっていうのが始まりなんですけど。

中西:そこで、このお坊さんと一緒に共同でこれを運営されているみたいな感じですか?

岩田:そうです。ここに一緒に住んで・・・最初は住んでいまして、ただ、お寺の中で女性はご法度なんですね。本当は。
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」岩田亮子氏と中西賢一対談画像
中西:やっぱりそういう決まりはあるんですか?

岩田:あるんですよ。だけど、難民が出た頃にムニ・ヴァンサヴェス(Muny Vansaveth)、お坊さんなんですけど、寺に子どもたちの中には女の子もいましたでしょ。そんなことを言っている状況じゃないっていうか、可及的速やかに何かをしなくちゃいけないのが、寺がそんなことを言ってる場合じゃないだろうっていうので、何人か連れて入ってるんですね。 それがはじまりで預かる子どもたちの中には女の子もやっぱりいて、ただ比率的には9対1ぐらい、やっぱり。
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」岩田亮子氏と中西賢一対談画像
中西:そんなに差があるというか・・・

岩田:そうですね。誰でもとはいえ、女の子の割合は、ほんとに少なくて、未だにそれを引きずっちゃってるんですけれども、うちの子どもたち・・・私が6年前に参りましたけども、その頃も1対9ぐらい。ずっと寺にその頃から3年ぐらい寺にいたんです。で、今の所に、寺を出て今の所に移ってからは、少しずつ女の子が増えてきた。

「ホープ・オブ・チルドレン」ってどんな子ども達がいるの?

中西:それはもうお寺じゃなくて完全に孤児院っていうかたちで運営されてて、そこにはもうどっちでもいいよっていうかたちで。年齢制限とかあるんですか?

岩田:ないです。ないですけれども20歳以上の人は・・・

中西:大人ですものね。(笑)

岩田:一応来ないですね。子どもっていうことで、入ってくる子どもたちの下の制限は3歳以上で、上は15歳以下っていうふうにしているんですけれども。大体15歳になると、ここでは働けるというので、出ていくように、うちからは押し出しはしません。来たときに10歳で学校にまだ全然行ったことがない子もいますし、そこから小学校1年生が始まったらどう考えても15歳で働けるっていう段階じゃないし、学校は終わってませんし。そういう子たちを追い出すようなことはしておりませんので、うちは何歳になったら出ていくっていうことも決めてはいません。
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」岩田亮子氏と中西賢一対談画像
中西:そういうようなお子さんたちを預け入れました。入れています。そのお子さんたちに対して何かアクションをされているということでいいんですね?

岩田:そうです。

中西:具体的にはどういうふうに関与しているのですか?

岩田:親がそういったご家庭ですので、子どもたちを自立させるっていうような余裕もなければ、そういう教育も受けてらっしゃらない方たちが多いので、それを代わりに自立、子どもたちが自分の足で立っていけるような、例えばスキルをつけてやるとか。それからあとは、実際に自分たちで、ご飯を作ったりとか、家を建てたりとか、修理したりとか、お米を作ったりとかいうことができるようなベーシックなことですね。生きていくために必要な最低限度の生きる術っていうものをここで養って、それになおかつ、今必要なスキルが、今でしたらコンピュータだとか、いろいろその子によっても違いますけども、その子たちのそれぞれの夢がありますので、その夢に沿った手助けができるだけ近づけていけるような手助けができればと思って、プロジェクトを立ち上げているんですけども。
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」岩田亮子氏と中西賢一対談画像

つづきます ⇒ (2本目 今に残る内戦による負の遺産とは?私だからこそできる期限のない活動とは?

■ インタビュー・撮影・編集
【海外どうでしょう】管理人:中西 賢一
■ インタビュー日:2015.02.24
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