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運命の出会いからカンボジアサーカスの営業職へ!行動で夢をつかむなでしこ【池内桃子】(3/6)

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カンボジアサーカス『ファー(PHARE)』池内桃子氏アップ画像
今回のインタビューは、『カンボジアサーカス『ファー(PHARE)』』アシスタントセールスマネージャーである池内桃子さん
アンコールワットに続く新しいカンボジアの観光の目玉として注目されているカンボジアサーカス『ファー(PHARE)』。
そのカンボジアサーカス『ファー』で、唯一の日本人として営業を任されている彼女。なぜカンボジアのサーカスで働いているのか?その運命の出会いときっかけは?あこがれの職場で働けるようになるまで、自分の気持ちに素直になるために、彼女はどのような行動をしてきたのか?
彼女の人生を変えるほどのインパクトを与え、カンボジアの新たな自立支援&ビジネスモデルの可能性を秘めるカンボジアサーカス『ファー』とは?
NHK「アジアで花咲け、なでしこたち」にも出演した池内桃子さんにたっぷりと語っていただきました!

池内桃子(いけうちももこ)氏
カンボジアサーカス『ファー(PHARE)』アシスタントセールスマネージャー。
カンボジア・バッタンバンでの日本語教師を経て現職。
サーカス唯一の日本人として、日本人ツアー客を中心に営業や広報等を担当。

今回の池内桃子さんとの対談インタビューラインナップ!
本記事は、全6本のインタビュー動画の3本目となります。


1本目 カンボジアサーカスって何?サーカスの営業職って何やるの?
2本目 運命を変えたカンボジアサーカスとの出会いときっかけとは?
3本目 私は本当にカンボジアが好き?道を決めるためにとった行動とは?
4本目 カンボジアサーカス「ファー」社長にスカウトされた!そのきっかけとは?
5本目 営業ど素人でもやるぞ!共感した「ファー」のコンセプトとは?
6本目 池内さんの今後の展開やビジョンは?そして例のテレビ出演どうだった?
特別動画 池内桃子さんからあなたへのメッセージ


生の声、現地のライブ感が伝わる【動画版】はコチラ!

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カンボジアのどんなところがよかったの?

中西賢一(以下、中西):福岡に来たサーカス団が帰りましたってなったときに、その次のアクションというか、次はどういうふうになっていったんですか?

池内桃子(以下、池内):次はその彼らが・・・それが8月だったんですね。ちょうど私の学校の夏休みの時期ともかぶってて、そのあと学校も始まり、最初、自分に起こった変化としては、まず、その3日間がすごい楽しかったんですよ。ほんとに楽しくて、もちろんショーもすばらしかったですし、あとは私の中ではショーがすばらしかったというのよりも、それをやっている人たちがほんとに気さくで、言葉も文化も違うにもかかわらず、どんどん来るんですね。こっちに話しかけてくるんですよ。こっちは若干戸惑うんですけど・・・
カンボジアサーカス『ファー(PHARE)』池内桃子氏と中西賢一対談画像
中西:実際そういうカンボジアの人達と触れ合うこともできてたんですか、それは?

池内:あ、できましたね。やっぱりそれは実行委員の特権だったというか、打ち上げに参加させてもらったりとか、公演が終わって時間が空いた時に彼らが泊まってたところに訪ねていったりとかっていうことができたので、そこでやっぱりショーを見るだけではなくリハーサルの時間をちょっとのぞいたりだとか、そういったところでちょこちょこ話すときはありました。すごくほんとに濃い3日間で、彼らが帰ってしまったあとで、・・・そこからすごくカンボジアに興味を持つようになって。なんでそうなったかというと、単純に楽しかったから興味を持ったというのもありますし、その彼らに出会う前に私が持っていたカンボジアに対するイメージって、アンコールワットがある、地雷で手を失くしたり、足を失くしたりした人がいる。と、あとそう遠くないときに内戦があったと。その影響で貧しい人たちが、たくさんまだいる国だぐらいな、ほんとすごく、すごく断片的な部分でしかカンボジアっていう国を知らなかった。
カンボジアサーカス『ファー(PHARE)』池内桃子氏と中西賢一対談画像
中西:日本人の人ってほとんどそのぐらいですよね。

池内:私もその1人だったんですけど、彼らに実際にあって、すごく印象に残ったのは、まず未知の国から来た同世代の若者たち、同世代の人たちが、サーカスをやっているだけでも私はすごいなあと・・・多くの人ができないことじゃないですか。それだけでもすごいなあと思ったんですけど、同じ世代で、しかも知らない国から来た同じ世代の人たちが、こんなに明るくて、どちらかというと、すごくネガティブで断片的なことしか知らなかった国から、こんなにも明るい、底抜けに明るい人たちが来たっていうのが、多分ギャップが大きかったですね、私の中では。その分やっぱり印象がすごく強くて、それから、なのでますますそこで興味をそそられたというか、どんなところで育ったんだろうって、彼らはどういうところで育ったらこういうふうになるのかなあとか、あとは、彼らがサーカスというちょっと特別な仕事、人から見られる、人を楽しませる仕事をしてるから「カンボジア人はこうじゃなくて、彼らだからひょうきんな人たちなのか」と思ったんですよ。なので、そういう意味でも「カンボジアってどんなところなんだろう」って・・・。なので、結構インターネットで片っぱしから調べたりとか、学校の図書館に行って、カンボジアの本をすごい探したりだとか。あとは、そのサーカスをやっぱりお手伝いしていた九州大学に留学してきていたカンボジアの人たちとも、そのサーカスのあとも会うようになったりという、ほんとカンボジアと接点を持ちたいっていう気持ちがすごく強くなりました。初めてカンボジアにそのあと、そのサーカスを福岡で見て参加した6カ月ぐらい、半年ぐらいあと、大学で次の学年に上がる前の春休みで、やっぱりそのサーカスで一緒だった日本人の別の大学の人と一緒にカンボジアに行こうということで、10日間だけプノンペン、バッタンバン、シェムリアップを順に2泊ずつ、3泊ずつ巡る旅をしまして、そのとき、そのバッタンバンでそのサーカス学校の人たちとも再会しました。
カンボジアサーカス『ファー(PHARE)』池内桃子氏と中西賢一対談画像
中西:バッタンバンにその学校があるということ?

池内:そうなんです。

中西:まあ、プノンペンとシェムリアップには学校がなくて。けど、その旅行自体の目的は学校に行くことが目的ではない?

池内:それは、すごい強い動機になりましたね。やっぱり福岡で一度会って、仲良くなった人たちともう1回会いたいっていうのがやっぱり大きな動機になりますし、あとは私にとっては・・・一緒に行った人はカンボジアには行ったことはあったみたいなんですけど、私は行ったことがなかったので、純粋にどういうところか見てみたいなあっていうのは思いました。
カンボジアサーカス『ファー(PHARE)』池内桃子氏と中西賢一対談画像
中西:で、学校に行ったと?

池内:学校に行きましたね。そのときは、学校は少しだけでしたね。ほんとにバッタンバンからシェムリアップに向かうタクシーに乗る30分ぐらい前に、少しグルっと見学したぐらいで、ただバッタンバンの観光案内に福岡に来たメンバーのうちの1人とその友達とでしてくれて、そのあとも「ここは誰々さんのうちだよ」とか、福岡であった人のうちへ連れて・・・

中西:メンバーの?

池内:はい。連れて行ってくれたりとか。

中西:バッタンバンでは学校は見にいって、そこではサーカスはやってなかったんですか? サーカスというか公演は?

池内:そのときはよく知らずに行って、・・・やってました。今でもやってるんですけど、テントがあるので、その当時から。公演は残念ながらそのとき見なかったですね。

中西:で、まだ、その話の流れだと、まだ、そこで働くとかっていうような匂いは全然まだ・・・(笑)

池内:はい。ただ、ぼんやりとなんですけども、カンボジア、なんか雰囲気がいいなあと。ほんとぼんやりなんですけれど。
カンボジアサーカス『ファー(PHARE)』池内桃子氏と中西賢一対談画像
中西:カンボジアに行ってみて、いい感じだなあと思ったんですね。

池内:いいなあと。好きだなあと。ここに住めたら楽しいだろうなあぐらいのぼんやりとした・・・。でも、やっぱりいいなあという気持ちが残りました。

中西:で、帰ってきたと。

池内:帰ってきてからが、私は大変でしたね。また、行きたくてしょうがなくて、でも、やっぱり学校もあるし、お金にも旅費にも限界があったので、そんなにしょっちゅういくこともできないですし、あとはやっぱり親も「そんなカンボジアなんて、そんな危ないとこになんで行きたいの」っていうのもあったので、結局結果的に、こっちに移ってくるまでに合計3年間のうち1年に1回ずつ来るようなことに・・・

中西:それはやっぱりバッタンバンにまた来て・・・

池内:バッタンバンに。はい。そうですね。

カンボジアで働きたいっていつ思ったの?

中西:けど、それって結局こっちに来るまでに、自分の中で働こうという気持ちに切り替わっているわけですよね。

池内:そのときは、まだそこまで強くはなかったですね。ほんとに夢見るぐらいの「あー、行けたら楽しいだろうな、せめて旅行でまた行きたいな、また、すぐにでも行きたいな」っていうのは・・・

中西:けど、そのままの感じできちゃったんですか、こっちに?

池内:合計3回来るようになって、大学2年生のときに、まず初めてサーカスを福岡で知って彼らと会って、3年生になるときの春休みに初めて旅行で来て、こういうところなんだと。その約1年後にまた旅行として、そのときはちょっと長かったですね。約1カ月の滞在するような旅行をし、観光客の「あー、ここいいな、住みたいな」っていう気分もやっぱりあったとは思うんですけど、ほんとにすごい口を開けばカンボジアっていう感じだったので、「じゃあ、なんでそんなに好きなのか」と自分でわからなくなるというか、いろいろ言ってみるんですけど、人が優しいとか、雰囲気があったかいとか。でもそれでもしっくりこないのがあって、じゃあ、そんなに行きたいと思うんだったら、住んでみてどんなに嫌なことがあってもここにいたい、居続けようと思うんだったら、それはほんとに好きなんじゃないか、そういうのを自分で知りたいと思ったんですよ。そういう意味でも住みたいというのは少しずつ思うようになりました。やっぱり旅行者で通っているときって楽しいことしかないじゃないですか?
カンボジアサーカス『ファー(PHARE)』池内桃子氏と中西賢一対談画像
中西:あくまでも行ってる目的は観光ですから。観光それ以上でもないみたいな、まだ感じですもんね。

池内:そうですね。ほんと観光したり、友達にあったり、やっぱり楽しいことを、結局楽しいことをしたいから行くわけであって・・・

中西:そこにはまだ生活っていうのは、全然ないわけですからね。

池内:ほとんどないですね。なので、ほんとに住んでみたら、嫌でもカンボジアの好きじゃないところとか、こんなのは嫌だ、受け入れられないっていうところは、絶対味わうと思ったので。で、そういう目にあっても、それでもここにいたいと思えるんだったら、その気持ちは本物なんじゃないかって(笑)自分の中で仮説のようなものを立てたんですね。
カンボジアサーカス『ファー(PHARE)』池内桃子氏と中西賢一対談画像
中西:確かに。けど、そのときに・・・

池内:それを確かめるには住むしかないと思いましたし、あとは3回、1年に1回通いに来るようなことになったときに、短期間で休みが取れるときに来るっていうよりは、最低でも1年の中に身を置いて、国の時間の流れとかを味わってみたいなあっていうのをすごく思いました。
カンボジアサーカス『ファー(PHARE)』池内桃子氏と中西賢一対談画像
つづきます ⇒ (4本目 カンボジアサーカス「ファー」社長にスカウトされた!そのきっかけとは?

■ インタビュー・撮影・編集
【海外どうでしょう】管理人:中西 賢一
■ インタビュー日:2015.02.10
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