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運命の出会いからカンボジアサーカスの営業職へ!行動で夢をつかむなでしこ【池内桃子】(2/6)

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カンボジアサーカス『ファー(PHARE)』池内桃子氏アップ画像
今回のインタビューは、『カンボジアサーカス『ファー(PHARE)』』アシスタントセールスマネージャーである池内桃子さん
アンコールワットに続く新しいカンボジアの観光の目玉として注目されているカンボジアサーカス『ファー(PHARE)』。
そのカンボジアサーカス『ファー』で、唯一の日本人として営業を任されている彼女。なぜカンボジアのサーカスで働いているのか?その運命の出会いときっかけは?あこがれの職場で働けるようになるまで、自分の気持ちに素直になるために、彼女はどのような行動をしてきたのか?
彼女の人生を変えるほどのインパクトを与え、カンボジアの新たな自立支援&ビジネスモデルの可能性を秘めるカンボジアサーカス『ファー』とは?
NHK「アジアで花咲け、なでしこたち」にも出演した池内桃子さんにたっぷりと語っていただきました!

池内桃子(いけうちももこ)氏
カンボジアサーカス『ファー(PHARE)』アシスタントセールスマネージャー。
カンボジア・バッタンバンでの日本語教師を経て現職。
サーカス唯一の日本人として、日本人ツアー客を中心に営業や広報等を担当。

今回の池内桃子さんとの対談インタビューラインナップ!
本記事は、全6本のインタビュー動画の2本目となります。


1本目 カンボジアサーカスって何?サーカスの営業職って何やるの?
2本目 運命を変えたカンボジアサーカスとの出会いときっかけとは?
3本目 私は本当にカンボジアが好き?道を決めるためにとった行動とは?
4本目 カンボジアサーカス「ファー」社長にスカウトされた!そのきっかけとは?
5本目 営業ど素人でもやるぞ!共感した「ファー」のコンセプトとは?
6本目 池内さんの今後の展開やビジョンは?そして例のテレビ出演どうだった?
特別動画 池内桃子さんからあなたへのメッセージ


生の声、現地のライブ感が伝わる【動画版】はコチラ!

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カンボジアサーカスとの出会いって?

池内桃子(以下、池内):どうして営業、この仕事に就いたのかっていう・・・

中西:そもそもからいうと、「なんでカンボジアで働くか」ということにもなるでしょうし、「じゃあ、なんでサーカスなの」っていうことにでもあるし、「なんで営業をやってるの」って話ものなると思うんですけど、ひもといていくと、どこが一番先なんですか? 

池内:私の中で始まりはもう今から7年前に・・・

中西:7年前?

池内:8年前ですね。もう、1年またいだので、8年前になりますね。8年前に私がまだ当時大学2年生だったんですけども、そのとき、私の地元の福岡で、他大学の学年も上の友達がおりまして。大宰府天満宮とかが有名な大宰府で、カンボジアでサーカスをやっている若い人たちが3日間公演で来ますと。
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」池内桃子氏と中西賢一対談画像
中西:福岡に?

池内:福岡に。その当時、私は外国にもともと興味はぼんやりとあったので、その話を聞いたとき、正直そのときカンボジアがどこにあるかもアジアのどこかもちょっと怪しかったんですが、まず、福岡でカンボジアの人に直接会う機会ってなかなかないだろうなと思って、「じゃあ、私も何か一緒にその3日間の運営を手伝わせてくれませんか?」っていうふうに声をかけてたんですね。
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」池内桃子氏と中西賢一対談画像
中西:自分からやりたいって?

池内:そうですね。最初はそこにやっぱり実行委員として関わっているお友達がいて、その人から話を聞いた時に、カンボジアの人に直接会える機会ってなかなかないんじゃないかなあって・・・

中西:そうですよね。そういうカンボジア人が一緒に来てやるって演目とかって東京でもなかなか聞かないですよね。

池内:そうですね。多分ないと思いますね。あとから聞いてみると、今でこそそれを機に何度か日本この「ファー」のサーカス団が行っているんですが、やっぱり私が初めて参加させてもらった2007年ですね、そのとき。2007年の公演を機に日本に来るようになって。なので、それが本当に初めての日本公演だったそうです。
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」池内桃子氏と中西賢一対談画像
中西:へー、「なんで福岡なのかな」って気もなんとなくするんですけれども、そこからちょっとご縁があるような感じにちょっとしますよね。

池内:そうですね。はい。

中西:けど、そこからすごい積極性が発揮されていますよね?

池内:いやあ、あまり自分では。よく周りのそのときの友達とかからは、「すごい行動力があるね」っていうふうに言われてたんですけど、自分ではあんまりそんなふうに思ってなくて。なんとなく「ピンッ」と来たら、ちょっと外から見るだけじゃなくて、「関わりたいな、自分も中に入りたいな」っていうのは、どんなことに対しても結構思うほうで。で、その1つが偶然カンボジアサーカスだったんじゃないかなあと。なので、カンボジアっていうのを 自分から選んだっていうよりは、もしかしたらそれがベトナムサーカスだったかもしれないですし・・・
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」池内桃子氏と中西賢一対談画像
中西:なるほど。

池内:ほんとに偶然、カンボジアっていうのは偶然ですね。

中西:じゃあ、もうカンボジアとサーカスがバラバラじゃなくて、ほんとカンボジアサーカスが福岡に来たから、ご縁ができたみたいなそんな感じだったんですね。

池内:そうですね。あとたまに、サーカスで働く人も日本の中でも少ないと思うんですけど、「サーカスが好きだったんですか?」ってたまに聞かれることがあって、でも、そういうわけでもなくて、「シルク・ドゥ・ソレイユ」とかも一応見に行ったことが・・・親に連れて行ってもらって行ったことがあるんですけど、悲しいことに何もおぼえていなくて(笑)なんかきらびやかな華やかな世界だったというのはおぼえてるんですけど・・・

中西:そっちは自分から関わりたいとは思わなかったんですか?

池内:思わなかったですね。もうあれは完全なショービジネスというか、今で思ってみれば成り立ってますし。

中西:すごい遠い存在みたいな感じで?

池内:はい。そうですね。

中西:実際にカンボジアのサーカスが来て、関わることができたんですか、そこで?

池内:はい。入れてもらいましたね。その実行委員というのに一応入れていただいて。本格的にはちょっと関わらなかったんですけども、そのとき住んでいたところが大宰府から少し距離があったので。毎回のミーティングとかには参加できなかったんですけど、その公演が始まって、まずファーのサーカス団たちが到着し、地元の大学でまず公演を披露して、そのあとチケットを売り出して3日間本格的に公演をやるってなったときにチケットもぎりだったりとか、あとそのときちょっとこれもサーカスの元の話に関わってくるんですけども。サーカスを訓練したっていう学校がありまして、そこの学校がサーカスだけではなくて、音楽と絵画、絵ですね。美術と演劇とサーカスという4つのアートの分野を教えているんですね。
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」池内桃子氏と中西賢一対談画像
中西:学校?

池内:学校で、はい。で、そのとき実際に福岡に来たのは、サーカスをやる人と音楽をやる人たちだけだったんですけれども、どうせ来るのであればということで、福岡の実行委員の人たちは、「じゃあ、使わなくなった画材とか絵具を学校の人たち、絵を習っている子どもたちに寄付しよう」ということで、それで絵具とかを集めてたんですね。

中西:そんなもう小ちゃい子からいる学校なんですか?

池内:あ、そうなんです、はい。なので、私も「絵具とかだったら、うちにちょっと余ってたから、持っていこう」と最初は思っていたんですけども、でも、それ何かあげるだけじゃなくて、カンボジアの人と交流するきっかけになるんだったらと思って、「実行委員に入れてください」と。なので、その当日3日間だけ入れていただいて、チケットもぎりとか、画材の仕分けとかをやってましたね。

中西:それが関わった最初?

池内:今の仕事とかきっかけとか、いろいろあるんですけど、やっぱり私の中ではそこが始まりだったし、今でもそのときのことをすごくおぼえていますし、すごい大事な部分だなあと思います。
カンボジア・バッタンバン「ホープ・オブ・チルドレン」池内桃子氏と中西賢一対談画像
つづきます ⇒ (3本目 私は本当にカンボジアが好き?道を決めるためにとった行動とは?

■ インタビュー・撮影・編集
【海外どうでしょう】管理人:中西 賢一
■ インタビュー日:2015.02.10
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